良かれと思って起こした行動が実はおせっかい……これはいつ誰がやらかしててもおかしくない話。
今日は、筆者であり専門家の久我山ゆにが、おせっかいはナゼ迷惑になるのか?を分析してみました!
おせっかいの「わざとらしさ」がうざい
おせっかいは、相手の為になるだろうと、意見を言ったり何かをしてあげたりする行為のこと。
おせっかいによって、相手が救われたり得したりすれば、シンプルに自分も嬉しいので多少の手間や労力もなんて事ないですよね。
だけど、この困った時はお互いさまなやり取りの裏に、「自分を良く見せたい」という欲求が強く出過ぎているとしたら……?
優しさアピールが強すぎると、おせっかいが相手の為の行為じゃなくなるので、しつこくなったり、わざとらしくなったりするワケです。
例えば、合コンの時にやたら料理を取り分ける女子。確かに誰かがやってくれると助かるんだけど、男ウケを意識してるのがバレバレだと、わざとらしいおせっかいな女ですよね。
素直に「ありがとう」って言いたくない! ……まぁ、食べるけどさ!(料理に罪はない。)
おせっかいは「価値観を押しつけられる」と、うざい
おせっかいが有難いものから迷惑なものに変わってしまう理由は、自分の価値観を相手に押しつけているからです。
他人の事にアレコレ口を出す人は、自分自身が同じような経験をしている場合が多いです。
過去の自分と同じ辛さや苦しみを味わっている人を放っておけないという気持ちからのおせっかい。きっと自分の経験から導き出した「正解」を惜しげもなく伝えているハズです。
だけど、自分にとっての「正解」が相手にとっても「正解」とは限りません。
全く違う方向を目指しているかもしれないし、目指すゴールは同じでも、自分なりに悩みながら違う方法で進みたいという人もいます。
相手が何を考えているかを見ようとせず、一方的に意見を押しつけるのは余計なおせっかいになってしまいます。
おせっかいの「悪気のなさ」がうざい
おせっかい自体は的外れな行為じゃなくても、デリケートな問題だから他人に介入されたくないって事ありますよね。
それと、親しい関係だけど「そこまでは求めてない……!」と思わず叫びたくなるようなやり過ぎおせっかいも、まさに余計なお世話。
行為自体は本当にズレてないんだけど、距離感バグってるのは困っちゃう。
距離感には個人差あるので、悪気のない曇りなきマナコで見つめられると、部外者扱いしてる自分が罪悪感すら感じてしまいそう。
おせっかいと思いやりの違いは、相手の気持ちを理解できているかがカギ
おせっかいと思いやりの違いは何なのか? ひとことで言うと、誰の目線で動いているかです。
おせっかいは、どの行為も一見、人の為の行為に見えます。
だけど、何かアクションを起こす前に確認してみてください。「見てて黙ってられない!」って自分がスッキリする方法でおせっかいしていませんか?
相手が自分にしてほしい事は何なのか、しっかりと見極めるべし。
完璧に解決してあげるより、見守る事が「正解」の場合もあります。
おせっかいな人には、隙を見せるべからず!
おせっかいな人への対処法で、相手も自分もダメージを受けずに済むのは、とにかく隙を見せない事です。
困っている(悩んでいる)人は、おせっかいな人から見れば格好の餌食。こんな展開を阻止するには、自分で防御するしかない!
おせっかいな人の前で悩み事を言わないようにするのはモチロン、自分の話の途中でおせっかいアドバイスされる度「自分はこうする事にした」と自分で決めた事をハッキリ宣言するのも効果的です。
しばらくはお構いなしにアドバイスが続くかもしれませんが、話は聞き流して「助かる」「有難い」というような反応はすべからず。
おせっかいさんが「この人は親切を役に立ててくれない人だ」「教え甲斐がない」と思ってくれれば、口出しもしてこなくなるハズです。
筆者:久我山ゆに